柵は消えた だが手に入れたものと失ったもの そのふたつは確かに俺の中にあったのだ
6
朝、左近が目覚めるとすでに三成の姿は無かった。
朝方まで睦みあい、求め合った。
だが今は褥に温もりさえなかった。
あれは夢であったのかと思ったが三成から取り上げたはずの硯が文机から消えていた。
それが昨夜、三成がここを確かに訪れた証拠であり、己と三成が再び結ばれたことの証拠であった。
馬鹿なことをしたと思っている。
だが、初めの時のようなただの契りではなかった。
確かにそこに情愛は存在した。
三成は左近の傍から抜け出し家臣たちが目覚める前にこっそりと自室に戻った。
小姓にははじめから左近との密談があると言付けていたため小姓たちが大騒ぎするということはなくすんなりと部屋に戻れた。
部屋に戻ると昨晩使わなかった自分の寝所がきれいなまま床に敷かれていた。
ドッと疲労を感じた三成は倒れこむように布団に寝転んだ。
そこで、思案する。
昨晩、まるで自分は女子の如く左近を求めた。
はじまりは確かに今とは違って情愛の欠片もなかったが支配欲はあった。
それが次第に絆されいつの間にか求める側に変わっていた。
結局のところ、三成は誰かに守られたいという感情が根本にあるのだ。
だから強い男に憧れる。
それが結果として清正と左近であった。
二人の己に見せる態度の違いが今回の結果であり過去の過ちであった。
三成は床に伏せたまま指で後頭部をなぞった。
感触はすでになく、自分の後ろにある傷が未だに存在しているのかはわからない。
だが、あるであろうと思い、撫でる。
左近は知らない。
この傷の存在や経緯を。
そして己の感情を。
知らなくていいと思っていたし、それが露見するのが嫌だった。
昔の男のことを聞かれるのがいやどではなく、清正と己のみ知る密かな繋がりを知られるのが嫌だった。
(これは俺と清正を繋ぐ糸だ。これは俺以外だれも知らなくていい)
左近と三成の密やかな繋がり、そして清正と三成の過去の柵。
(だがやがて傷はなくなる。そして柵は昨夜消えた)
三成は左近とのことを喜ぶと同時に無性に空しくなった。
傷を二度三度なぞる。
気が付いたら三成は声を殺して泣いていた。
「さよなら、虎之助」
過去は去った。
そう思った。
昼が過ぎ、雑務に追われる三成のもとに小姓が声を掛けた。
「直江山城守様がお見えになっておいででございます」
「会う。すぐ向かう。待たせておいてくれ」
「かしこまりました」
小姓は静かに立ち上がると部屋を後にした。
思えば自分もあんな頃があったのではないかと思った。
もしかしたらあの小姓も誰かに焦がれているのではないかとも思った。
(懐かしい感情に浸るほど、まだ抜け出せないのか。今の俺は左近のものなのに)
今朝、左近から取り戻した硯に筆を置き、気だるく立ち上がり、再び硯に目をやった。
(囚われるな。もう過去なのだから)
きっかけは些細なこと。
そのきっかけで人は人とすれ違っていく。
繋がったはずの糸は左近と結ばれ、清正とは繋がることはなかった。
(もともと繋がることはなかったのだ)
「久しいな三成」
襖を開けるとすでに出されていた茶を飲みながら兼続が座って待っていた。
待たせてすまないと一言詫び、三成は兼続の前に座した。
「お互い忙しい身。構わない」
整った顔に笑顔を浮かべ、兼続は茶碗を置き本題を話し出した。
主君景勝の上洛の打ち合わせや負靖のこと、そして領地の近況。
黙っていれば美麗の軍師なのに口を開けばただの口うるさい女郎のようだと三成は思った。
兼続は越後の上杉家当主の参謀的な立場であり、三成とは立場や考えが似ており義兄弟の契りを交わしている。
それからというもの頻繁に文を交わし、こうやって三成の居城に訪ねてくることが多かった。
だがお互いに知らないことは確かにあった。
過去のことはお互いあまり話すことはなかった。
触り程度のことなら調べさせて知ってはいるが真実は確かではない。
三成自身も内面までそう多く語らず、それゆえに兼続も語らなかったのだ。
「それから・・・・・浮かない顔だ」
「は?」
気がつけば三成はムスっとしてうわの空だっただっとようで、それに気がついた兼続は一息いれようと言い、縁側へと足を運んだ。
三成もそれに続き、兼続の後を追った。
「お前が何も語らないなら私は何も聞かない。だが聞いて欲しいのであれば耳は貸す」
「相変わらず手厳しい」
兼続は予想で物事は語らない。
そうではないか?という曖昧な物言いはしない。
だが耳を貸すということは思う存分打ち明けよということでもあった。
「昨日左近と再び閨を共にした。二度目だ。だけど初めての時とはちがった・・・・言わなかったがそこには確かに想いが互いにあった。
俺は左近を慕っている。だが腑に落ちぬ」
「恋とはまことに不動であって揺るぎやすいもの。一度想っても次の日には揺れ動く。だが離れられない。柵のようなもの」
二人は互いに目線を合わすことはなかった。
「柵は消えた」
「そう」
ふと横を見ると兼続は口元に笑みを消し、目の前を見据えていた。
「兼続、お前は主君と寝たか」
「恐れ多い。体の繋がりのみが忠誠あらず」
「そうか」
三成はまるで自分たちを否定されたようだと思った。
体で絆を作るしかできない自分たちは誠の関係なのだろうか。
すでに忠誠以外の感情が生まれているのだから、主君と家臣の関係からは逸脱している。
「私はお前と島殿の関係をとやかく言うつもりはない。ただ・・・・」
「ただ?」
「囚われてはならぬ」
庭を眺めていた兼続の眼が三成の眼をしっかりと捕らえていた。
その眼はせつなさと悔やみが込められているようで三成は眼を逸らすことができなかった。
「お前は囚われていたのか」
「さぁ?昔のことだ」
「答えろ」
「答えられぬ。己に誓った。二度とこの想いを出さぬと」
そういった眼は真剣でこれ以上の深入りを拒絶していた。
だが、感情は一度入り口を見つけてしまえば外に出たがる。溢れ出す。
「・・・・私は愚かしい人間だ。答えてもやれぬのに助けてもやれぬのに手を差し出し捨てた。景勝さまをお慕いしてはいるが
もし誠の主君があの方であれば迷わず私はあの方のために腹が切れた。どこまでも追い続けることができた」
やり切れぬ想いを嘆くように兼続は嘆いた。
世の流れに逆らうことのできぬひとりの人間の嘆きであった。
三成は兼続の言葉から彼が誰に想いを寄せていたのかすぐに気がついた。
だがそれに触れることはできなかった。
「だから三成。お前にはどのような形にしても想いを貫いて欲しい。少しおしゃべりが過ぎた」
耳を貸すと言った兼続の意外な内面を知ることとなった。
ふぅと一息をつき、兼続は眼を閉じ、後悔の色を見せた。
自分に閉じ込めておくべきだった感情を表に出したことを悔やんでいるようだった。
こんな時代である。想いを貫くことは難しかった。
それ故に今の左近との関係。そして兼続と彼の愛した人。
三成と左近の想いが繋がったのは事実ではあったがそれは決して繋がることのない糸であった。
昔、もっと素直になれていればもっと違う道が歩めたのではないか。
「俺はもう囚われている。過去に現在に」
抜け出せぬ回廊の中を堂々巡りのごとくひとりから廻っていた。
素直に左近の気持ちに応えられぬ自分もまたいた。
囚われているのは左近になのか清正になのか。
もうそれすら見えなくなっていた。
眼を開け、兼続が横の三成を見つめるとまるで昔の自分と同じように笑っていた。
(貴方を想ったことに悔いはない。だが現実は残酷すぎた)
悔やむ心と得られた安堵が交差し、迷い続けることに対する己に対する皮肉。
繋がった糸は雁字搦めになりもう抜け出せそうになかった。
それから数年。
北条の小田原攻めにて天下は豊臣秀吉によって統一された。
三成はその後19万4千石の大名となり佐和山城主となる。
天下は安寧を手に入れ、秀吉が目指した皆が笑って暮らせる世が築かれた。
しかし、そんな日々は長く続かず時代はやがて波乱に満ちていくことになる。
唐入りであった。
7に続く