傷はお前から貰った最初で最期の
5
佐吉が目を覚ましたのは夕暮れごろだった。
すでにあの事故から1日が経ち、半ば呆然とし意識がはっきりとしない。
どうして自分がこんな時間に寝所にいるのかすら理解できずぼぉっと見知らぬ天井を眺めていた。
「佐吉、起きたん?」
すっと障子が開き、顔を覗かせたのは主君のお抱え商人の小西隆佐の息子・弥九郎だった。
手に替えの包帯と白湯を持ち、小脇には桶を抱えて弥九郎は佐吉の傍に座った。
それを眺め佐吉はようやく理解した。
昨日の虎之助との一件、そして今何故ここにいるか。
「すなないな」
「気にせんでええよ。」
起き上がれるかと一言弥九郎が尋ね、佐吉は重い体に力を入れ半身を起こした。
後頭部がズキズキと痛み、思考が働かない。
しかし、そうも言ってられなかった。
「虎之助は?」
「秀吉様に叱られ中」
ざまぁみろとでも言うカンジに弥九郎は苦笑した。
兼ねてから弥九郎と虎之助は犬猿の仲で、顔を合わせれば無視。意見が食い違えば罵りあうという具合に
決して分かり合えるとは思えないほどの不仲であった。
「安心し。俺もガツーンと叱ってやったさかいに。これからはあいつの好きには・・・」
「ちがう!!!!!」
包帯を替えようとしていた弥九郎の手が一瞬ビクついた。
「っちがうんだ・・・・ちがう・・・悪くない。虎之助のせいではない。俺が・・・俺が!!」
佐吉は見るからに混乱し、支離滅裂していた。
包帯を帰るために伸ばされた手は躊躇するように佐吉の頭に触れた。
あやす様に落ち着かせるようにゆっくりと弥九郎は佐吉の頭を撫でた。
「だったらこれはなんや?怪我までさせられて・・・・消えへんで、この傷は」
後頭部を覆うように巻かれた包帯は虎之助から受けた傷を隠した。
包帯は痛々しく佐吉を包んでいた。
「いい。これでいい」
「何言ってっ!」
「消えないものほど価値のあるものがあるものか」
佐吉もまた虎之助と似たような感情を抱いた。
消えなければいい。虎之助がこの傷をもって俺から逃れられなくしてしまえばいい。
囚われていたのだ。ずっと。
恋焦がれていた。
時折部屋を訪ねてきては虎之助は佐吉の書物を勝手に読み黙って傍にいる。
黙られるとたまらなく不快だった。
声が聞きたかった。
ふたりで話がしたかった。
それだけだったのだ。
それだけなのに。
でもそれが叶うことなどなく、あの時すべて吐き出した。
『俺が憎いか』
たった一瞬。
この一言が今回の事件を招いてしまった。
原因は自分だったのに。
自然と涙が溢れ出し佐吉は体を丸めて泣いた。
弥九郎は意味もわからずただ頭を撫で続けた。
部屋はあの時、感じた虎之助の赤のように萌えるように赤く染まっていた。
(もう傍におれぬのだな)
佐吉はわかってしまった。
もう自分たちは前のように接することなどできやしないと。
竹やぶの中で呆然としている内に日が暮れていた。
あたりは闇に包まれ、しんとしている。
帰らなければと思い、腰をかけていた岩から立ち上がり、もとの道を戻った。
遠くから小姓の声がし、ああ、そういえば左近が迎えを寄越すと言っていたなと思い出す。
あれは世話焼きだあった。
家臣ゆえだからであろうかそれとも人柄ゆえであろうか。
三成はその小姓のほうへ足を速め、日が陥った道を小姓と共に左近の待つ水口城へと戻った。
夕餉を済ませ、さて仕事でもと思ったが硯が見当たらない。
「左近め」
先ほど取り上げられた硯は未だに左近が隠しているらしく見当たらない。
別に急ぎの仕事などではないが昔のことをふと思い出したせいもあって何かしていないと落ち着かなく、
しょうがなく三成は立ち上がり、左近の部屋に硯を取りに行くことにした。
城内はもう夜の帳が下り、真っ暗だった。
今夜は満月だったせいか、比較的足元はよく見える。
静まり返った静寂のなか、一歩一歩左近の部屋に足を運ぶ。
何度も通ったはずだが夜更けに訪れるのははじめてであった。
意識的にふたりが避けていたからだった。
恋人同士ではないからあれ以上の情交はいらない。
だからその忠誠がなんらかの形に変わることを恐れたのだった。
(俺にはお前が恐ろしい。そして自分の欲深さもまた恐ろしい)
色々と思案していたらあっという間に左近の部屋の前に来ていた。
硯を取り返しに来ただけなのになぜこんなにも緊張するのかと溜息が出る。
三成はくだらないと思い、左近に襖越しから声を掛けた。
「左近、」
まだ用件を言い終わってないのに左近はスッと襖を開けた。
「殿。何か御用で?」
左近はすでに夜着を身に着けいつも後ろに束ねている髪を解いていた。
夜着の隙間から豊かな鍛えられた筋肉が覗き一瞬胸が高鳴った。
いつもと違う姿に三成はすでに囚われていた。
「硯を返してもらおうと思ってな」
平素を装うが声が震え落ち着かない。
落ち着けと心の中で思う。
「わかりました。お返ししましょう。ただ酒など共にいかがですかな?」
左近は三成が酒が苦手なことを知っている。
酒宴の際はいつも飲んだフリをするようにこっそり三成の盃を空いた盃と交換してくれるほどだ。
それなのに何故今日はこんなことを言うのだと三成は内心傷ついた。
左近は自分を守る為にいるのではないかと最近思うようになってきていた。
家臣だから戦場で守るのは当たり前だ。
しかし、それだけではない日常すら左近に頼っている自分がいた。
「殿?」
左近は三成の顔を覗き込み肩に触れた。
心臓が飛び出るのではないかと思った。
だが拒否はできなかった。いやできるはずがなかった。
「お前は俺のなんだ?」
昔、虎之助に尋ねた疑問をまた違う男に向けている。
「殿の、石田三成様の家臣ですよ」
「お前にとって俺はそれ以外では?」
「敬うべきお方です」
「ならば何故、そのように優しく触れるのだ」
「大切なお方だからです」
左近の肩に触れた手は普段、戦場で見せるような力強さはない。
大切な物を壊さないようにただ触れるのみであった。
左近の暖かな手に自分の手を重ね、三成はゆっくりと左近の手を撫でた。
一瞬、左近が手を引くように感じた。
ああ、なんだ、お前も怖いのか、三成は左近の気持ちが手から伝わるような気がした。
「お前は俺が怖ろしいか。俺は自分が怖ろしい。俺はお前との夜ばかり考える。考えては空しく哀しくなる。まるで女子のようだ。
だが、俺は男だ。本当に大切なものならばお前は俺を女子のように扱うか」
「殿は男子ではないですか。女子のようにとはいきませんな」
「俺が女子であればお前は俺を抱くか」
「あなたがそれを望んでくださるなら」
左近は手を乗せていた肩をおもいっきり掴み室内へと三成を誘った。
三成も誘われるままに左近の懐に跳び込み息ができないほどに顔を埋めた。
月明かりは部屋の中を明るく照らした。
しかし、左近が後ろ手で襖を閉じた時、部屋は暗闇に包まれ三成の嗚咽が鳴り響いた。
昔、清正を好きになった。
しかし、清正は自分になにも与えてはくれなかった。
与えられたのは静寂と憎しみと古く残る傷。
そして今、左近を好きになった。
左近は清正とは正反対で三成の望むものを与えてくれ守ってくれた。
人に愛されるということがこれほどの至福なのかと
この時、三成は感じた
6に続く